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相撲の「女人禁制は伝統」、実は近代日本に作られたデマだった?江戸には女相撲も

*相撲
人命救助中の女性に対して「土俵から降りて」などとアナウンスした大相撲業界に対して批判が殺到していますが、そもそも大相撲の「女人禁制は伝統」という話が近代日本で作られたデマである可能性が濃厚です。

元々の大相撲は女性も参加しており、江戸時代の時点では「女相撲(おんなずもう)が存在していました。この女相撲は江戸中期18世紀中ごろから流行し、当初は「美人が少ない」というような理由から人気が微妙だったことも記録に残っています。
男女の垣根を無くして、女性が男性と互角に戦うというシチュエーションになってから人気が爆発するも、明治に入ってから規制強化の一環でドンドン制限されてしまいました。

太平洋戦争後に生まれた「女子プロレス」は女相撲と同系統の流れとも言われるほどで、相撲=男性の図式が出来上がったのは明治以降の近代日本になってからとなります。

もちろん、男性がメインの相撲も普通にありましたが、絶対に何が何でも女性が土俵にあがるのは駄目という話では無かったようです。

江戸以前の女性相撲も数多く記録が見られ、「女人禁制は伝統」という思想その物が近代日本によって歪められた偽りの伝統だと言えるでしょう。

 

女相撲
https://ja.wikipedia.org/wiki/

江戸中期18世紀中ごろから流行した。当初女同士の取り組み[1]で興行したが、美人が少なく飽きられたため、男の盲人との取り組みを始めて評判になった。大関・関脇などのシステムは男の相撲に準じており、しこ名には「姥が里」「色気取」「玉の越(玉の輿の洒落)」「乳が張」「腹櫓(はらやぐら)」などの珍名がみられる。

明治5年には、男女の取り組み・女力士の裸体が禁止されたため、シャツや水着が使われることもあった(それまで男同様全裸にまわしなど、少なくとも上半身は裸だった)。明治中期以降現れた複数の女相撲の一座には全国興行を行う興行団もあったという。その後昭和30年代後半まで九州に女相撲の興行団が残っていたらしい。また第二次大戦後に生まれた「女子プロレス」はこれら女相撲と同系統のものだという[2]。

女人禁制は伝統ではない
http://lite.blogos.com/article/288452/

救命活動中の女性に「土俵から降りろ」とアナウンスがあったことが報道されている。
相撲は「女人禁制」が伝統と信じ込んでいる観客が騒いだので、行司が慌ててアナウンスしたらしい。
人命を無視して心臓マッサージを止めるわけにはいかないのは当然のことだ。
人名より伝統が大事というのは伝統を原理主義と勘違いしているカルトである。

今回のケースを緊急時であるから特例だと考えてはならない。
「女人禁制」は伝統ではなくて、「因習」であるからだ。
相撲における「女人禁制」は、明治の「男尊女卑」の強化から伝統だと勘違いされていったものだ。

日本書紀の雄略天皇の記述部分に、最古の采女による女相撲の記述があるし、室町時代には比丘尼が相撲をとっている。
江戸時代には女相撲は頻繁に行われていたし、明治15年にも山形県で女相撲が行われている。
もちろん女相撲も上半身裸で乳房丸出しだ。

だが明治になって、女性が取っ組み合う様子が野蛮で文明開化ではないと板垣退助が批判し、この文明開化の波に乗って、長年、相撲界に蔓延る男尊女卑の土壌が女人禁制を伝統として浸透させ、その論拠として神道の汚れの感覚が利用されたようだ。

男尊女卑の感覚自体が、実は文明開化なのである。
これによく似ているのが女性宮家の排除とか、大嘗祭の女性皇族の排除とか、女性天皇の拒否とか、天皇は男系継承しかダメという、皇室に関する男尊女卑思想である。
相撲とまったく同様に、明治の文明開化と、神道・仏教の女性蔑視思想がドッキングして伝統だと勘違いされたものに過ぎない。
原理主義としての伝統など、日本には存在しないのだ。

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