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日本航空123便墜落事故から34年、国内の事故としては最多の520人犠牲 依然として残る謎も

*日本航空123便
昭和60年8月12日に発生した日本最悪の航空機事故「日本航空123便墜落事故」から今日で34年となります。
この事故では国内の航空機事故としては最も多い520人が犠牲となり、日本だけではなく、世界に衝撃を与えました。亡くなった方の中には歌手の坂本九さんを始めとする著名人も多く、同時に日本のOSなど研究していた技術者の方も多数亡くなっています。

事故直後は位置情報の混乱から救助部隊の到着が大幅に遅れ、それが犠牲者の数を増大させたと言われていますが、後に元在日米軍中尉が「事故直後に厚木基地のアメリカ海兵隊(のちに座間のアメリカ陸軍と訂正)救難ヘリを現場へ誘導したが、救助開始寸前に中止を命じられ、またその事実も他言しないよう上官から命令された」と証言。
報道機関としては事故現場をもっとも早く発見した朝日新聞社のヘリコプターも現場を超低空で飛行する別のヘリを目撃し、救難体制の不備や政府当局の対応に批判が殺到したこともありました。

依然としてこの事故には不自然な点が多くあり、ネット上でも様々な憶測が飛び交っています。34年が経過して関係者の高齢化が進む中、犠牲者拡大の背景や事故の真相究明を求める声は根強いです。

 

日本航空123便墜落事故
https://ja.wikipedia.org/wiki/%

生存者の救出
事故調査報告書によれば、4名の生存者以外は即死もしくは、それに近い状況だった[f 2]。一方、救出された当時12歳の生存者は「墜落した直後は周囲から『がんばれ』という励ましや『早く助けに来ないのか』などという話し声が聴こえていたが、次第に静かになっていった」と語っている。そのため、救出が早ければ、さらに多くの人命が救えたのではないかという意見もある[11]。

JALの事故調査
航空事故調査委員会とは別に、JALも社内事故調査委員会を設置して、独自の事故調査を行っている。この報告書は2002年8月にまとめられたが、社内外ともに非公開とされた。同年8月26日、同社の労働組合に対して行われた説明会において、その内容は「基本的には事故調査委員会の報告書と齟齬はない」とされた[42]。

日航ジャンボ機墜落事故から34年 遺族など慰霊の登山
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20190812/k10012032111000.html?utm_int=news-new_contents_list-items_004

520人が犠牲になった日航ジャンボ機の墜落事故から12日で34年となり、墜落現場の群馬県上野村では朝早くから遺族などが慰霊の登山を始めています。
昭和60年8月12日、お盆の帰省客などを乗せた日本航空のジャンボ機が群馬県上野村の山中に墜落し、国内の航空機事故としては最も多い520人が犠牲になりました。

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