新型コロナウイルス、政治、経済、地震、放射能、災害などを中心に様々な情報を提供しているサイトです!

真珠湾攻撃から80年、空母と石油貯蔵施設を攻撃しなかった日本軍の大失態!奇襲攻撃はアメリカに漏れていた?太平洋戦争


*真珠湾攻撃wiki
2021年12月8日で太平洋戦争(大東亜戦争)のキッカケとなった真珠湾攻撃から80年となります。

真珠湾攻撃は1941年(昭和16年)12月8日未明に大日本帝国がアメリカ太平洋艦隊の本拠地であるハワイに空母艦隊で攻撃を行い、アメリカ軍の戦艦8隻を撃沈または損傷により行動不能とする大戦果を記録した太平洋戦争の発端となった奇襲攻撃のことです。
この攻撃でアメリカの主力艦隊に大打撃を与え、そのまま太平洋を一気に制圧するというのが日本側の目的でしたが、結果的にはアメリカの空母を取り逃し、ハワイの石油貯蔵施設や造船所への攻撃も行わず、それによってアメリカ艦隊は即座に再建されて日本の敗北に繋がりました。

元々、真珠湾攻撃の2年前からヨーロッパではナチスドイツのポーランド侵攻によって第二次世界大戦が始まっており、アメリカはナチスドイツの同盟国である日本との開戦は時間の問題だと見て備えていたのです。

日本軍の暗号として「ニイタカヤマノボレ―」が有名ですが、この真珠湾攻撃は前々からアメリカ側が把握していたとも言われています。
いわゆるアメリカが真珠湾攻撃を事前に知りながら、世界大戦に参戦する口実として都合が良いから、あえて放置して日本軍に攻撃をさせた説です。

実際にハワイ島ヒロの新聞「ヒロ・トリビューン・ヘラルド」は11月30日の時点で「日本、来週末にも攻撃の可能性」(JAPAN MAY STRIKE OVER WEEKEND)と報道しており、地元メディアですら日本軍の奇襲攻撃を予想していました。

当時の外交情勢は日本が中国に侵攻し、それに反発したアメリカを中心とする国際社会が石油輸出の制限などで経済制裁を実施。世界大戦前に起きた世界的な大不況である「世界恐慌」の影響も残り、日本としては資源不足から妥協か周辺国への侵略かの2択しか無い状態でした。

最終的には強硬派の軍部に押される形で対米参戦が決定され、1941年の前半頃から真珠湾攻撃の模擬演習が本格的に行われます。
攻撃目標であるハワイのオワフ島と地形が似ている鹿児島県の桜島などを利用した攻撃訓練は何十回もあり、訓練に参加している兵士らにも厳しい箝口令が敷かれました。

↓ハワイの地形など 真珠湾攻撃wikiより

開戦直前の12月1日、天皇陛下も出席している御前会議で対米宣戦布告は真珠湾攻撃の30分以上前に行うべきことが決定されるも、開戦通告の文書がアメリカ側に伝わったのは真珠湾攻撃後となっています。これによってアメリカ国内では「だまし討ち」との声が上がり、いわゆる「リメンバー・パールハーバー」としてアメリカ国民の戦意が一気に跳ね上がりました。

一説によると、この御前会議の内容も通信傍受によってアメリカのルーズベルト大統領はある程度把握していたとも言われ、事前に知っていたからこそあえて開戦通告の文書を遅めに受け取ったとする話があるのです。

日本の外交官が開戦通告の文書をアメリカに渡そうとした時に、アメリカの担当が不在で受け渡しに時間が掛かってしまったというような話もあり、最終的にはアメリカにとって都合の良い展開となりました。

真珠湾攻撃によって日本はアメリカの太平洋艦隊を一時的に行動不能とさせますが、破損した戦艦の多くはハワイの造船所で修復され、1年後には戦線に復帰しています。

空母機動部隊を使った奇襲攻撃という面では画期的でしたが、取り逃した空母や造船所を放置した代償は大きく、戦術と戦略の両面でアメリカを打ち負かすという目的は達成できなかったと評価することが出来そうです。
もしも、時間に余裕をもたせてしっかりと事前に開戦通告の文書を渡した上で、造船所や石油貯蔵施設を攻撃していれば、太平洋戦争の流れは大きく変わっていたかもしれません。
昔から日本政府の問題点や致命的な部分は変わっていないとも見ることができ、真珠湾攻撃の失敗から日本政府は色々なことを改めて学ぶ必要性がありそうです。

 

真珠湾攻撃
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9C%9F%E7%8F%A0%E6%B9%BE%E6%94%BB%E6%92%83

真珠湾攻撃(しんじゅわんこうげき、英: Attack on Pearl Harbor、日本時間1941年(昭和16年)12月8日未明、ハワイ時間12月7日)は、第二次世界大戦において日本海軍が、アメリカ合衆国のハワイ準州オアフ島真珠湾にあったアメリカ海軍の太平洋艦隊と基地に対して行った[1]、航空母艦(空母)艦載機および特殊潜航艇による奇襲攻撃である。当時の大日本帝国側呼称は布哇比海戦(ハワイ海戦、はわいかいせん)である。

太平洋戦争における南方作戦の一環として、イギリスに対するマレー作戦開始に次いで実施された(「真珠湾攻撃から始まった」というのは間違い)。

日中戦争を戦っていた日本は英米など連合国との全面戦争に突入した。戦闘の結果、アメリカ太平洋艦隊の戦艦部隊は戦闘能力を一時的に完全に喪失。開戦初頭にアメリカ軍艦隊に大打撃を与えて、側面から南方作戦を援護するという[2]作戦目的を達成した[3]。

真珠湾攻撃、8日で80年 太平洋戦争開戦、日本側310万人犠牲
https://mainichi.jp/articles/20211207/k00/00m/040/213000c

 日本軍が米ハワイ・真珠湾の米太平洋艦隊基地を攻撃してから、8日で80年となる。同じ日に日本軍は英国領のマレー半島にも侵攻し、太平洋戦争が始まった。真珠湾攻撃開始時に日本の開戦通告が米側に届いていなかったとされ、米国内では「だまし討ち」との声が上がり、「リメンバー・パールハーバー(真珠湾を忘れるな)」の言葉とともに反日感情が激化した。

極東情勢やいかに 米中さや当てに軍艦の日本周回◆真珠湾攻撃80年
https://www.jiji.com/jc/v4?id=202112sinjuwan-shakaibuhatu0001

 歴史の専門家は別として、国民一般は「真珠湾攻撃」を1939~45年、日本、ドイツ、イタリアの三国同盟側と米国、英国、旧ソビエト連邦などを中心とした連合国側で戦われた「第2次世界大戦」の一部、太平洋正面における戦いの始まりだったと教えられている。わが国は米英両国やオランダ、フランスなどに植民地化されていた東アジア地域を解放し、わが国を中核とする共栄圏をつくろうとしていたから、あの戦争を「大東亜戦争」と呼んだ。そのための必須要件は米国の太平洋艦隊をつぶしておくことで、その目的で真珠湾攻撃は行われた。

一方、当時、既に欧州正面で戦っていた米国は、この機に太平洋の覇権を制するため、あの戦争を「太平洋戦争」と銘打った。日米両国が呼んだ戦争の名前だけからも、それぞれの国の戦争目的と戦略が明瞭に分かる。

 

この記事が気に入ったら
いいね!しよう
\  SNSでみんなに教えよう! /
\  情報速報ドットコムの最新記事が届きます! /
情報速報ドットコムの最新記事が届きます!