戦後一番の長寿と言われていた101歳の中曽根康弘元総理大臣が亡くなったことが分かりました。
中曽根氏は昭和57年11月に第71代の内閣総理大臣に就任し、それから5年以上(1806日)も首相の座を維持。「戦後政治の総決算」を掲げて、「国鉄」や「電電公社」の民営化などの政策を行い、外交面でもアメリカのレーガン大統領(当時)と密接な関係を築き上げたことで有名です。
また、原子力基本法案を議員立法で成立させ、原発政策の旗振り役として活躍した人物でもあります。
総理大臣を辞めた後も熱心に政治活動を続け、平成15年の衆議院選挙の際、当時の小泉総理大臣が比例代表の73歳定年制の例外を認めず、中曽根氏が立候補を断念するまで国会議員を続けていました。
また、大勲位菊花大綬章を受章したほか、国会議員在職50年の表彰も受けています。
近年は憲法改正の実施を目指して、安倍政権とも交流を重ねていたと報道されており、中曽根氏の死去は政府与党の憲法改正にも大なり小なりの影響を与えそうです。
中曽根康弘元首相が死去
https://www3.nhk.or.jp/shutoken-news/20191129/1000040854.html
「戦後政治の総決算」を掲げ、国鉄の民営化や日米安全保障体制の強化などに取り組んだ、中曽根康弘元総理大臣が亡くなりました。
中曽根 康弘
https://ja.wikipedia.org/wiki/%
中曽根 康弘(なかそね やすひろ、1918年〈大正7年〉5月27日 – 2019年〈令和元年〉11月29日)は、日本の政治家。位階は従六位。勲等は大勲位。公益財団法人「世界平和研究所」会長、拓殖大学第12代総長・理事長、名誉総長、東アジア共同体評議会会長。新憲法制定議員同盟会長。
衆議院議員連続20回当選(1947年 – 2003年)、科学技術庁長官(第7・25代)、運輸大臣(第38代)、防衛庁長官(第25代)、通商産業大臣(第34・35代)、行政管理庁長官(第45代)、内閣総理大臣(第71・72・73代)、自由民主党総務会長、自由民主党幹事長、自由民主党総裁(第11代)などを歴任した[1]。対米関係上の愛称は「ヤス」。
【訃報】中曽根康弘元総理が亡くなりました。101歳でした。中曽根氏は1947年に衆議院選挙に立候補して初当選。1982年に第71代内閣総理大臣に付き、外交分野ではアメリカのレーガン大統領とファーストネームで呼び合う「ロンヤス関係」という親密な関係を作り上げました。 pic.twitter.com/dINB1DyXoX
— TBS NEWS (@tbs_news) 2019年11月29日
中曽根康弘元総理の訃報が伝わました。直接には短いご挨拶程度で直接じっくりとお話しさせていただく機会はありませんでしたが、様々な場面で学識・見識にあふれ毅然とされていた姿勢が印象に残っています。政治的見解には違いがありましたが、見習うべき点の多い先輩でした。ご冥福をお祈りします。
— 枝野幸男 りっけん 立憲民主党 (@edanoyukio0531) 2019年11月29日
レーガン、サッチャー、コールに続き中曽根も逝ってしまった
— 茶会太郎 (@Small_TP1) 2019年11月29日
中曽根康弘氏は1956年、日ソ共同宣言の批准承認案を審議する衆院本会議で自民党を代表して「賛成」討論を行なった。しかしその内容は強烈なソ連攻撃。最後だけ「やむにやまれず」批准せねばならないと結論づけた。議場は騒然。議事は3時間近く中断。1時間に及んだ演説は議事録削除となった(画像参照)。 pic.twitter.com/PbYU1rPke2
— Akiyoshi Komaki 駒木明義 (@akomaki) 2019年11月29日
中曽根先生には選挙担当の自民党総務局長としてお仕えし京都二区補選で谷垣さんと野中さんの両方を当選させることができた際、「名医の手術を見ているようだ」と褒めていただいたことをよく覚えています。戦後政治を総決算された素晴らしい指導者でした。心からご冥福をお祈り申し上げます。小沢 一郎
— 小沢一郎(事務所) (@ozawa_jimusho) 2019年11月29日
前にも書いたけど、中曽根元首相って、田中角栄、シュミット、チャウシェスク、ナセル、サダトと同い年で、皆歴史の彼方に行ってしまった…
— dragoner@4日目西て02a (@dragoner_JP) 2019年11月29日
中曽根さんの死去で、改憲運動はさらに停滞するでしょう。こたつのような護憲派からすれば最大の宿敵でしたが、「バカ右翼」とは異なり、近代的な理念にもとづいた優れた改憲イデオローグでした。中曽根さんの著書はほぼすべて読んでいますが、「敵を知り己を知る」ことができる最良の敵でした。合唱。 https://t.co/T3y3uWrl19
— こたつぬこ (@sangituyama) 2019年11月29日
中曽根の現役時代と言えばこの写真を思い出す。
レーガン、サッチャーと並んで新自由主義政策の中心的人物といわれていたことを思えば、すごい時代だ。 pic.twitter.com/u7Jw4kEjtD— ノルトフリート (@Ryu_ya634) 2019年11月29日
中曽根元総理大臣
誕生日が近かったらしい
101歳って大往生だね
第二次世界大戦を知る人がまた1人この世から逝去されました。
ご冥福をお祈りします。#中曽根康弘
ちなみにウチが誕生した後の最初の総理大臣でした。— 龍介㌧@GLAY三重両日@焼豆腐メンタルに進化 (@GLAY25th_XJAPAN) 2019年11月29日
中曽根康弘逝去。大勲位というあだ名を覚えていて、Twitterに書いている人はいるが、彼が若い頃は「風見鶏」「決して塀の中には落ちない塀の上の猫」と言われていたことを覚えているのは、我々の世代以上になっちゃったなあ。三角大福と比較して「なにあの軽さ」と言われていたのだよ。往時茫々。
— 松浦晋也 (@ShinyaMatsuura) 2019年11月29日
日本に原発を導入した張本人。原発を全て地獄まで持って行って欲しかった。#無責任な政治家
/中曽根康弘 元総理大臣が亡くなりました… https://t.co/339z6tmRJt— 木村結 (@yuiyuiyui1114) 2019年11月29日
ロン・ヤスの時代が懐かしい。101歳での大往生、お疲れさまでした。謹んてご冥福をお祈りします。#中曽根康弘 元首相が #死去 | NHKニュース https://t.co/zlmOPekFwB
— Hiroaki Taguchi (@hiro_tag_0428) 2019年11月29日
中曽根さんの生まれた1918年は、第1次世界大戦が終わったとか、米騒動とか、幸之助が松下電器を興したとか、そういう歴史で習う時代、101歳は大往生だなぁ…
— toshi_1990TB1 (@10319_1990TB1) 2019年11月29日
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